本日ワクチン2回目を接種。
夜になり、頭が軽くて鈍い痛みと熱さで少しボーっとしている。
そんな中、ボーっとした頭で見た一つの映画で号泣してしまった。
ストーリー自体がメチャクチャありがちなストーリー。
病気で余命を知らされた若い男女が残された人生を精一杯生きていくといったストーリー。
この手の話には元から弱いのだが、昔から少し憧れてしまう事があるのも事実だ。
まずは余命を知らされる事で残された限られた時間の貴重さに気付けること。
2つ目に、若くして死ぬことで老後長生きして死ぬよりも多くの人に惜しまれること。
3つ目に、終わりの見えない人生のストレスや悩みから解放されること。
こんな事を高校生の頃から思っていた。
100%楽しく人生を全うできる人なんて本当に限られた人だけだと思うし、人生の中で楽しさより苦しさの方が多い人の方が圧倒的に多いと思う。
また、この世の中何が起きるかわからない中で、人生の終わりを告げてもらっているのはある意味ラッキーな事だと思ってしまう。
日本では自然災害で多くの人が亡くなっているし、世界を見渡せば紛争や事故で急に人生を終わりにさせられてる人だっている。そういう人たちの中には夢や希望に向かって走り続けていた人も数多くいたと思う。人生の終わりが事前に知らされていたら、もっとやりたい事だってあったかもしれない。
今までの自分ならこの映画を見て、シンプルな羨ましさの様なものを感じて終わりだったかもしれない。
ただ、今回はこれまで以上に色々な事を考えてしまった。
まず、もし自分が余命を知らされたら、残された人生を自分の為に使おうと思うのか、それとも人の為に使おうと思うのか
残された家族や友人は、限るあるその子の人生にやりたい事をとことんやらせてあげるのか、それとも1日でも長く生きてもらう為に最善を尽くすのか
余命を知らされた人間が、その余命を超えてまだ生きていた時、そこに残るのは未来への希望なのか、今日死んでもおかしくないと思いながら生きていく絶望なのか
若くして死を迎えなければいけない場合、自分の両親が絶望する姿を目の当たりにしなければいけない。まさに運命という言葉で片づけるしかないこれ以上ない親不孝だ。そんな状況で残りの人生を自分の好きな事だけやって楽しく過ごそうなんて思える人がどれだけいるのだろう。
残された人生の中で、病気の痛みと苦しみの中で、周りには出来るだけ心配かけたくないとか気を遣わせたくないと思う悩みや苦しみが更に上乗せになってくる。
自分だったら抱えきれないほどのストレスになるかもしれない。
今となって思う。
自分が余命を知らされたかったのは、単純に背中を押して欲しかっただけなのかもしれない。
余命を言われることで、後ろ向きで人に想いを素直に伝えられない自分も前向きになれるんじゃないかと錯覚していただけかもしれない。
40歳を目前にして思う。この歳でも出来ない事はどんな状況になっても絶対に出来ない。物事が出来ないのは環境のせいではなく、性格の問題だ。
この歳になって気が付くとは。。。
40歳まであと240日


コメント